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どうでもいい自意識

音楽を中心に箇条書きです

DEAR. / Hey! Say! JUMP

ジャニーズ 音楽

甘くないお菓子。自分が聴いた時の印象。

そう、そうなんですよ。お菓子ではあるんだけど......



アルバム聴いた第一印象、

「あ~う~ん、うん。...?」
的な感じでした。

うん。分かるよ分かる。このアルバム最高!と言えないファンがいることも、このアルバムを作りたかったJumpの気持ちも。

以前インタビューで「smartは大人っぽくなりすぎたからJUMPing CARではちょっと戻した」ってJumpが言っていたけれど、今回もその流れ?つまりJumpの趣味がかなり入っているのだろう。普通の音楽好きな20代男子の思いと言うか。

そうゆう意味ではすごく等身大なアルバム、ではあるかもしれない。

でも、これで和製ジャスティン・ビーバー(苦笑)みたいになろうとするJumpより、やっぱ日本独特の、てゆうかジャニーズの気持ち悪さの方が聴きたいんだよなぁ、ってゆう。

普通にかっこいいトラックにアイドル声が乗っかってる面白さに萌えようとしても(笑)、弱いよなぁ。(って歪んでるかね)


何周も何周も聴いてみると、すごくかっこいいアルバムって事が分かってくる。
ただ、やっぱりこれって普通にかっこいいから「そういうのいらんわ!」ってなって、暫く経ってみると、やっぱ普通にかっこいいから、「なんだかっこいいんじゃ~ん」ってなって気に入る的な、まあ普通に一周回ってだよね。文字通り。。

第一印象でいいと思いました!か、何周も回って、いや~余りにも糸に思いが織り込まれすぎてて分析追いつかなかったっスわ、かどっちかがいいとゆうか。。

もしもこのテイストでJump特有の大人数での掛け声とか、突っ込み所満載な歌詞とか、セリフとかが入ったら10倍は面白いアルバムになった気がするんだよなぁ~。。これもsmart→JUMPing CARの流れですかね。なら”分かる”んだけど。。

Jump(の音楽)がこれからどうなって行くか、の過渡期、というか、踏み絵かもしれないね。子どもっぽさ、可愛さで標本の様に、永遠に閉じ込めるか、順当に大人になってゆくのか。はたまた”等身大”そのものがテーマか、可愛い、等身大両方やるのか。


と、文句ばっか言ってますが(笑)、普通にかっこいいです。このアルバム。色んな音楽が詰め込まれてるし。

ミュージカル風の『Masquerade』、クラブミュージックの『B.A.B.Y.』、アコースティックな『Dear.』、EDMの『SUPERMAN』、90年代ヒップホップの『order』、民族音楽テイストの『Tasty U』、まんまフリッパーズみたいな『愛のシュビドゥバ』、など軽めのダンスミュージックを中心にホントに多彩な曲のオンパレード。

もし、一曲だけ挙げろ、と言われたら『RUN de Boo!』。まさかのロカビリーに度肝を抜かれる。それもかっこいいんだけど、個人的にツボだったのはJuliet!から始まる歌詞。Julietは始めの一節しか登場しない。つまりコンサート用に作られたであろうこの曲、Julietはファンへの呼びかけ。この当たり前の様な扱い、そしてその潔さがたまらない。

という訳でホントにめちゃくちゃかっこいい。このアルバム。あぁ、でも...



もうちょっと砂糖の量を多くしておくれ!!!

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N album / KinKi Kids

ジャニーズ 音楽

超久々のブログです。ブログ見てた時は「放置するなら何か言うか、やめるか、どっちかにしろよ!」とか思ってたのに、やってみるとこの有り様でしたwヽ(^0^)ノ

それで今更ですがN albumです。初めに聴いた時、良いって確信しました。
てゆうかKinKiのアルバムの中でもかなり好きです。

KinKiファンならアルバムのアルファベットを順に数えてテーマ予想するじゃないですか...。時にはかなり先まで。正直Nを考えた時「ああ、今回は耐えられないな」って思いました。だって近年のキンキなら絶対N=Naturalだもん。。また落ち着いた感じのアルバムかぁ、、って。

でも、予想は裏切られました。
実際にNatural(&Naked)だった事は間違いないんですが、落ち着いた、と言うよりは、今のキンキがやる普段着の音楽、そんな印象が強い。

近年感じていた停滞感がかなり払拭されているし、新しい。B、Cあたりのアルバムを大人っぽく着せ替えた感じ?

KinKiの近年のアルバム(∅あたりから)はやはり綺麗過ぎる、というか行き着く所まで行き着いてしまったし、完成され過ぎと言うか、何と言うか...。

これ、原因は剛くんの歌い方悟り開き過ぎ(笑)、とか、元々歌謡曲で時代の流れに抗ってデビューしたKinKiは年いったら余計大人しい音楽やるのは当たり前とかあるけど、一番は二人のソロ活動にあるのかな、と......。

いや、自分ソロ活動反対!的な訳ではないです。断じて。複雑、とかもないです。ただ、インタビューを読む限り、(最近は分かんないけど)二人はソロ活動は=好きなことをやる場、キンキは=大切なブランドで、守り続けるもの、的な捉え方をしているっぽくてそれが......いや、いいんだけどそれだとキンキに新しい風が吹く事はまずないよね...っていうか...。

ソロの活動をグループにも還元します。っていうんなら新しく回ってゆくんだろうけどっていう。まあ、裏を返せば二人にとってKinKiは本当に大事な場所なんだろうけど。

そのKinKiらしさ、というものはやはり歌謡曲っぽさという暗黙の了解があって、とにかく作り込んで完璧にする、という......。結果、クオリティはもちろん高くなるんだけど、例えば5年前の曲と入れ替えても分からないというか、普遍的過ぎてその良さが逆に伝わらないというか...。

しかしN albumの前哨戦である薔薇と太陽。
その流れが変わったのは20thyearという気合いか、はたまたその活動の激しさで変わっていったのか、とにかく、どこかで還元する事にした、これは間違いないのだろうと思う。そしてそれを象徴する曲が薔薇と太陽であり。

ソロの活動をグループにも還元する、以外にアルバムの新しさを挙げるとするなら、アルバム一曲一曲を違うテイストで、じゃなくてアルバム全体でのプロデュース、これが効いている。

クレジットを見てみると、なるほど多くの曲にアレンジで堂島孝平が関わっている。なので聴きやすい。
確かにその方式でのプロデュースだと、アルバムの中での一曲!とか、これは名曲!といったものは生まれにくいのかもしれないけれど、この軽さが今のキンキには合っている。

アルバム全体か、一曲一曲かなら前者が∅、J、L。後者がK、M。など以前にもアルバム全体同じテイストのアルバムはたくさんあるものの、同じ人のアレンジまではなかった。

このぐらい自然体な方がキンキにはやはりいい。まあ、キンキは90年代の住人だもん。。歌謡曲といえどもストリートを引きずった方がいいのかもしれない。

マイケルを思わせる様な『naked mind』から始まり、軽快なファンクナンバー、『モノクーム ドリーム』、幻想的ロックの『ホタル』、剛流プログレ、『陽炎 ~Kagiroi』、正統派光一的?なダンスナンバー『Plugin Love』、刹那げ不倫ナンバー”夜を止めてくれ』、サンバを取り入れた爽やかな『Summer ~僕らのシルエット』、シンプルなバラードの『雨音のボレロ』、どれもホントに心地良いんだよね。無理がまったくない。かと言ってヒーリング系、という訳でもない。だから何度も聴ける。

また、前述した理由からか、何だか二人の声のシンクロ具合がすごくいい。二人ともが同じ力の入れ具合で同じ場所に立ってて、っていう、それも”無理がない”んだよね。

という訳で個人的にはかなりおすすめです。このアルバム。特に最近のおとなし過ぎるKinKiから離れていた人には特に。


最後にこのアルバムにキャッチコピーをつけるなら、

「ダイエット成功!」

です。(笑)

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M(A)DE IN JAPAN/浜崎あゆみ

ayu 音楽

超遅刻です。すいません。でも書きます!笑
今書かないとあゆはまたどっか飛んでっちゃうので笑

M(A)DE IN JAPAN
こちらは発売前からliveで楽曲が披露されたり、AWAで楽曲配信されたりしていて、かなり現在進行形でファンの皆さん聴かれてたと言うか、同じ速度で認識が深まっていったアルバムだと思う。

自分自身は実は、liveにも行ってなかったり、AWAも利用してなかったりするので、曲をちゃんと聴くのはアルバムが初。

しかし、あゆがtwitterで歌詞の一部を呟いたり、雑誌のインタビューでアルバムについて答えていたりしたのを見て、どういうアルバムなのか、の認識はあった。

そこで思ったのが、

「新しい」

と言うことだった。



確かそのインタビューでは、アルバムについて聞かれ、現在の日本の在り方とが今回のアルバムに深く関わっている。とあゆは言っていた。そして、


「誰かを叩いて自分を正当化する人がいたりとか、今の日本は少しおかしいところがある。」


と言うような事を言っていて、(ニュアンスですいません)
これを聴いて自分は、なんかちょっと今までと違うな、と思った。


あゆが言っているのは、明らかにインターネットの事であり、(とは言ってないけど)その事について触れるのがまず意外と言うか、新しい、と思った。


とゆうか、そこに触れてしまうんだ!と思ったとゆうか......


今までならあゆは黙殺していたと思う。それは別に見ないふりをしていると言う事じゃないよ。ただ、あゆはまず、そうゆう闇に対してそもそも関わる気がないと思ってた。


しかし、今回その”現代の日本(の在り方)”がアルバムのテーマとなった。


これ、ものすごく新しい変化じゃないかと思う。


そして引き合いに出している人も多いと思うけど、やはりこのアルバムは2016年で言う、「Duty」なのだな、と。
A ONEがA Song forxx、sixxxxxxがLOVEppears、そして今回のM(A)DE IN JAPAN。


新しい一つの区切りから、あゆは新しくも同じ道筋をたどる。ただそれは過去の自分の模倣と言う訳ではなくて、現実に激しく向き合った結果、彼女の心は同じ道をたどるのだと思う。


Duty=やるべき事のイメージも共通しているしね。つまり今回のM(A)DE IN JAPANが彼女が今形にしなければいけないと思ったアルバムなのだと。


毎回毎回、新しいな、とか、まさかこんな所へ行くとは!とか感じるんだけど、正直今回は頭一つ分飛び抜けてると言うか、かなり新しい風が吹いてる、そんな感じがした。


          • -

今回、個人的にまっさらな気持ちで聴きたいと思い、と言うかliveやAWAでの受け取りが出来なかったのもあり、車の中で初めに聴いてみた。普段は歌詞カード凝視で聴くのだけど。そしたら、まず

変な声!笑

と思った。そして歌詞聞き取れない!と思った笑

デジタルな声にしては歌い方が人間っぽ過ぎるし、人間味のある声にしては声がデジタル過ぎる。

で、ものすごい違和感なんだけど、あぁ、これが浜崎あゆみなんだな~と。(なんとなく声質的に中森明菜を思い出してしまった)


そして、聞こえないながらも聞こえてくる詞。twitterで一部を見ていたけど、とにかく現実がテーマ。それはいつも同じなのだけど、今回は特に”目の前の現実”。


ある一定の世界(日本)で輝き、外の人(外国の人)にはその良さや意図が伝わりずらいタイプと、どこの世界でも同じ様に伝わって、平等に外の人達にも伝わるタイプと、アーティストには二種類いると思うのだけど、(どちらが上、下とかではなく)
あゆは間違いなく後者。(ちなみに勝手に前者はSMAP椎名林檎、意外と宇多田ヒカル、後者は嵐やきゃりーぱみゅぱみゅGACKTなど、だと思っている)


それは、彼女の根底にある思想とも深く関わっているのだろうけど、結果的に言えばやはり歌詞の匿名性だろうと思う。


それが今回は縛り(日本)をつけて書かれた。
この事が歌詞の新しさの本質かな、と。


そして、いつもの事かもしれないけど、現実と向き合って本気で生きている、と言う前提があって歌詞が書かれている。

それがいつもは個人的な内容なのに、今回は日本と言う景色を通して映し出している。
つまり、現代日本で必死で生きている(私達)、という前提があり、そこから来る誰にも言えない苦しみであったり、喜びを描いた歌詞。


自分なんかが聴くと(読むと)、耳が痛いのだけど笑、不思議と嫌な気持ちにはならない。それは彼女がきっと痛みを知っていて、それを隠さず書いているから。


そして目の前のものが大事だと知っているから。



最近ドラマや音楽で、思うんです。なんだか現実と夢の関係が崩れているって。

現実をテーマにした作品が多くて、それ事態、いい事の様に思えて、実は危険信号なんじゃないかと。

本来そうゆうものは夢があり、夢を見せるもの。つまり太陽と月の様な関係だと思う。太陽が現実で月が夢。太陽の光によって月は照らされる。月は本来あってもなくても死なないもの。だけどだからこそ、それを見上げる心の豊かさ、美しいと思う心が大事なんじゃないかって。


あゆも現実、リアルをテーマに作品を作って来た。でもその流れに属してないと思うのは、あゆがその関係をちゃんと分かっているからではないか、と思う。


だから、そうゆう意味でも警鐘を鳴らしていると言うか、本来の太陽と月の関係、それを表したアルバムではないかな、と。現実に伴って光輝く言葉達を集めたアルバム。



          • -


それでは曲紹介


曲目 一曲を除きwords:ayumi hamasaki



01.tasky

music & arrangement:tasuku


アルバムオープニング。海外から見た日本...のギリギリを狙った感じ。JAPAN=そういうアレンジ、と考えるとあまりにストレートだけど、これはきっと避けられないアプローチ。



02.FLOWER

music:Tetsuya Yukumi arrangement:tasuku


大人になったから書ける詞。よく読むと


”もう直ぐで花咲く頃 あの頃は楽しみだった”


と言うのがVogueを思い出させる。けど、自分はある程度の大人になればみんな理解できる普遍的な意味で捉えてる。

”花になって”

とか

”離れてって”

とか

”忘れてって”

とか一瞬の感情を優先してるようで、限りある時間や空間を意識しているように思う。

いや、もしかしたらそこからも外れて独りになる瞬間を描いた歌かもしれない。



03.Mad World

music & arrangement:tasuku


”もし樹々が話せたら 何を訴えるだろう”

とか

”風が話せたら 何を訴えるだろう”

とか

らしいようできっと新境地。でもとってつけたように、環境問題をもっと考えて!とか説教臭さは感じない。きっと人と人との繋がりとかもっと深い気持ちが根底にある。

”この時代に心から吐き気が してるだとかって 本音はどこにやればいい”

というフレーズはこのアルバムを一番象徴するフレーズ。”ツケの神”と言う詞(これも新しい)もあいまって、どこか神話的なイメージも。



04.Breakdown

music:Tetsuya Yukumi arrangement:Yuta Nakano


一曲目と違い内側から見た日本、の様な気がする、落ち着くアレンジ。歌詞は彼女にとっての大切な人の事かなぁ、とか。

”こわいものなど今はもうないよ ただその事がとてもこわいよ”

という言葉を紡げるまでに、どれくらいの時間の有するのでしょうか...。


05.Surviver

music:Timothy Wellard arrangement:Yuta Nakano


詞の内容は日本と言うより東京かな、と思うのだけど、カワイイについてこうやって書けるのはそれを背負ってきた彼女だけでしょう。曲事態はMY STORYの雰囲気もあり(my name’s WOMENぽい)かなり久々のテイスト。懐かしい。

”僕らなら救える気がする 地球とかそんな大それた 事を言ってるんじゃない 例えば隣のあの子とか”

というフレーズを見た時、姉さん!一生ついてゆきます!となったよね笑(オレも生き抜きたい!)



06.You are the only one

music:Timothy Wellard arrangement:Yuta Nakano


ここでのonly oneは戦って、うまく行かなくて、自分に何もないと思っても、それでも君はonly oneだ、という事ですね。サビの歌い方はあゆの新境地というか、突き抜けるようなビブラートで美しい。この歌い方を生かした曲も今後もっと聴いてみたい、そう思わせる曲。



07.TODAY

music:Shun Ueno arrangement:Atsushi Sato & Takehito Shimizu


”特別な日じゃないけど~なんでもない今日が宝物”

と言う詞を見て、よくある詞だ、と思わないでください!ここからサビで永遠に飛びます!笑

”例えばそう僕らは永遠に 生きて行けるわけじゃないから 限りある時間の中でどれだけ愛せるかなんだよ”

そしてタイトルはTODAY。このアルバムで一番の感涙バラードかな、と。



08.Mr.Darling

music:Tetsuya Yukumi arrangement:tasuku


まず初めのアレンジで、ん?テクノ?と思い。けど、曲事態はアコースティックギターが中心になっており、なんだかあゆのフォーク魂を感じる一曲。(テクノとフォークの融合?)

”何の取り柄もない私でも”

という詞に今までだったら突っ込みを入れていたんだと思うんだけど...今回は違って。

あゆも一人の人間だと気づいたのかな笑

きっと目の前のものを大事にしたい気持ちが共感を呼んでいる。



09.Summer Love

music:Mayuko Maruyama arrangement:tasuku


イントロだけ聴いてEDM的なアプローチなのかな?と思いきやサビでポップに振り切れる。ありそうでなかった曲で、EDMが得意でなくても、軽めに聴ける、いい落とし方をしていると思う。
歌詞も簡単に書いているようで、夏に恋する(しそう)な気持ちをこれだけ曲の中で踊るように書けるのは素晴らしい。
Bメロのお互いを伺っている感じが好き。



〔bonus track〕10.Many Classic Moments

words:TETSUYA KOMURO and MARC music:TETSUYA KOMURO Produced:RedOne


bonus trackとなっているけどbonus trackじゃないですね、コレ。笑
むしろアルバムの本質を突いているかもしれない。”今から思って”いるのが、あゆにとっていつなのか、とか以前なら考えていたけど、あまり関係ないように思う。それがなくてもこのアルバムの物語は成立しているし、むしろそれよりも”今からでも遅くない瞬間”。それを大切にしたい、自分はそうゆう風に受け取った。





おまけ
pvはMad Worldが好きでした。
過去の浜崎あゆみをコラージュして使う、と言うあゆの得意技が久々に見れたので。あれだけは現在進行形のノンフィクションタイプのアーティストしか出来ない、ホントにかっこいいpvでした。


それでは読んでいただきありがとうございました。

Sexy Zoneにカバーしてほしい曲

ジャニーズ 音楽

Sexy Zoneはなぜか大御所の作家が多く関わるアイドルである。松井五郎しかり馬飼野康二しかり船山基紀しかり。まぁ馬飼野さんは置いといても、他のグループよりも関わる頻度は多いように思う。


その中でも一番セクゾンと関わりが深いのが三浦徳子先生。
数としてはそれほど多くないのかもしれないけど明らかにSexy Zoneにとって重要な作家であることは確か。



三浦先生がSexy Zoneにこれまで書いた曲は

Sexy Summerに雪が降る

ぶつかっちゃうよ

Hey you!

などなど名曲(迷曲?)が多いのですが...





三浦徳子(よしこと読みます)は主に80年代に多く活躍された作詞家で、アイドルを中心に歌詞を提供された方。


作風としてはどこまでも健康的で解放感があり、若さのみずみずしさを描くのが特徴的。

代表作は

夏の扉 松田聖子

大きな森の小さなお家 河合奈保子

CAT'S EYE 杏里

嵐の素顔 工藤静香

モニカ 吉川晃司

お嫁サンバ 郷ひろみ

などで、いかにもストレートに愛を伝えます!と言った様な歌詞が特徴的な方です。



しかし三浦先生を作詞に迎えよう、って判断をしたブレーンの方は天才だと思う。笑

アイドルにおいて一人の作家との繋がり、というのは時代によって形は変われどかなり大切だと思うんだけど(工藤静香中島みゆき 華原朋美小室哲哉 Perfume中田ヤスタカなど)
その意味ではセクゾンはジャニーズにしては珍しくそういう関係を三浦先生と持っている気がする。これはきっと、作詞家としてはKinKiにおける松本隆以来ではないかと...


合いすぎる作家でも、これとこれ組み合わせたらおいしいよねって事でもいけないんだろうけど、その間をすり抜けて、よくぞこの組み合わせに辿り着いた。


そしてもう一人三浦徳子との蜜月な繋がりを持ったアイドルがいる。それは松田聖子

聖子さんの作品が女性目線の三浦徳子若者像だとしたら、Sexy Zoneは男性側。だからSexy Zoneは三浦先生の詞を男性側から体現出来る、ようやく出てきたアイドルだとも言える。笑


過去にジュリーや光GENJIの作詞をされていた事もあるようだけどあくまでも一作家としての立ち位置である様に思うし、こんなに体現出来るアイドルはいなかったのでは?と思う。少なくとも長年。


三浦先生も男性アイドルで自分の詞を体現してほしい、との長年の欲(いや、分かんないけど笑)を実現させてくれるアイドルがようやく見つかった!とでも言うようで、まさに孫を掌の上でもてあそぶかの様に笑
キレまくったトンチキソングを提供されてます。


でも、それはなぜなのか...冒頭でも触れた通りSexy Zoneには大御所の作家が多く関わることも含め...


三浦さんに限って言えば、やはり声かな。
そこが聖子さんとの共通点でもあって、きれいに張られた声。そこから響くわかりやすい倍音。また高音部分を歌っていても、実は低音がかなり歌える、つまりちゃんと基本に伴った歌声であり、歌謡曲の王道的な歌い方である、という事。


あとは性の匂いがするとこ...かな 笑。
まぁ名前にも付いてるし笑
でもいやらしい意味とも違って、こう魂とちゃんと繋がってる感じというか...

うまく言えないんだけど、本来そういう事って誰にでもある気持ち。でもいつからかそういうの、なぜか悪いこと、みたいな、絶対悪になってません?(死ぬことと共に。)
でもSexy Zoneはそこにフィルターをかけない。ちゃんと肯定出来るアイドルなんです。

裸になってドル誌でわぁ~って、いつの時代も見かけはするけど90年代以降はそういう“わかりやすさ“が「メイン」ではなかった気がする。


それをSexy Zoneはやりますけど何か?俺らアイドルだし?と、わざと(覚悟とも言う。もしくは天然か笑)わかりやすい事を着こなして見せている気がする。


でもそれは80年代のファンタジーアイドルではない。ましてや90年代の自然体アイドルとも違う。別の角度からファンタジーを健康的に、肉体で体現できるアイドル、それがSexy Zoneなんです。

で、実はなかなかそういうアイドルっていないのかな...と。だから三浦さんの詞の様な、自由ではつらつとしたアイドル像を歌いこなせるアイドルが現れなかったのかな。



さて、ここで三浦さんが作詞をしたセクゾンの曲のフレーズを見てみると


”Summer time 雪がKissした僕の心の
Sexy Sexy Zone


”パクパク サクサク ドキドキ 食べちゃえ!最初のキスだよ!”


”洞窟あたり住んでたら All right×2 男はみんな
狩りに出かける! All right×2 10万年前
コンビニ無いし超不便! 獲物を探すしかない!”


”ミーギ 右 右 ミーギを見て、ついでに僕を見て”


とまぁ、かなりぶっ飛ばしてるんだけど笑



個人的に一番ツボなのが「Hey you!」


”Hey you! どうだっていいじゃん Say so! 何、気にしてんだよ
こんなんじゃkissもできないよ”


”せっかく会えた日は笑ってみせろよ”


と始めは強気なのに、後半に行くに連れて、


”ドレスアップしてくるなんて”
”メールにもなかったから”


”君の付き人みたい”になっちゃったり、


”並んでる店は1時間待ちさ みんなみんな仲良さそうに見える” とか


”君はハンバーガーで” ”僕はスウィーツ”
”ちっちゃな頃から背も負けてる”


とか、だんだん女の子の方が上手だったと分かってゆく。



すごいのは王道の三浦徳子の歌詞世界であるにも関わらず、Sexy Zoneの現代の若者(いわゆるゆとり、笑ですね)っぽくなくてちゃんとしっかり男の子を演じようとしてる、
けどやっぱりその世代は通っていて、ちょっと打たれ弱かったり、女の子っぽいとこが出てしまったりして失敗しちゃう感じ...ここまでちゃんと時代に合わせて描ききっている。


そして


”徹底的 口では テッテイテキ 負けるよ”


とかわいい、なおかつ普遍的なラストを迎える。しかも始めの女の子へのテッテイテキと、同じ言葉を使っているのにまったく違う意味で。まるでオセロの白と黒を入れ替えた様に。




三浦徳子よ......







天才です!!!




王道なのに時代にもSexy Zoneにも合わせ、なおかつ少し尖った部分も入れる、という離れわざのような歌詞。



しかもだってさぁ、こんなベテランになって


”キミキミキミダーケ”


とか


”僕の心のSexy Sexy Zone


とか書く?



当たり前かもしれないけど、もう明らかに自分のためには書いていない。Sexy Zoneのため、いや、彼らのファンのために書いている。しかも遊びながら。

ピカソの絵が誰でも書けそうなすごい位置まで行っちゃって...ていうのと似ている(気がするw)





というわけで前置きが長くなりましたが、


話しの流れからも分かる通り、
自分がカバーしてほしい曲は松田聖子
曲は「夏の扉」です。

 

......いや、わざわざ三浦徳子女性像の代表作と男子代表を入れ替えなくても...と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、そこはAKB戦法と言うか、ジャニ的に言うとKinKi Kids戦法と言うか笑


Sexy Zoneって物語を読むタイプではないんですよね。もちろん物語を読まない(読めない)歌手なんかいないと思うんだけど、その上で。それがどういうことかと言うと...。



例えば、同じく大御所作家からの提供が多いKinKi Kidsと比べるとKinKi Kidsはまず物語があって、KinKiのふたりじゃない主人公の男(もしくは女)とその恋人が見える。その男女比は同じくらいであり、それを外から読んでいる。という印象があるのだけど、Sexy Zoneは中に入ってそれを体現してる。つまり主人公になって歌っている。だから結構声も張り上げて歌うし。(もちろん”冷静”に)そしてあまり特定の女性の影を感じない。これは正しくアイドル的というか、聞いてる人がその女性になる事ができるのだと思う。


まぁKinKiのふたりも若い頃は体現するような歌い方で、それから物語を読む方向に(特に剛さんが)行ったような気もするし、もしかしたら“若さ“と言う部分、というかそれが直接透けて見えるタイプか否か、と言うことなのかもしれない。


そう、だから大御所の方の作品が多いのかもしれませんね。現在を肯定出来るから、圧倒的な普遍性を持つことが出来るのでしょう。



で、だからこそ、Sexy Zoneに女性目線の歌詞を歌ってほしい。Sexy Zoneのテーマは言わずもがな“セクシー“で、それは魂の部分で繋がっていて、ちゃんと越えるということ。それを見せてほしい。


実はさっきの話しとはすごく矛盾するんだけど笑

Sexy Zoneなら女性が主人公の歌でも絶対に女々しくなる事がないと思うから。



さっきAKB、KinKi戦法と書いたけど、やはり女性、男性はここ数年で入れ替わった。時代を映すアイドルならなおさらその影響は出る。
でも、実際には女性アイドルは女性アイドル、男性アイドルは男性アイドルとして成立しなければいけない訳で。だから嫉妬を受けないやり方が必要で、その一つのやり方が「女性アイドルが男性の想いを歌う。」なのだと思う。

そしてKinKi Kidsは物語を歌う、そして歌謡曲を歌うので例外的としても、ジャニーズに関しては蚊帳の外だった。時代の影響を受けるにしてもそもそも独占的だし、変わらないし、おじいちゃんが作ってるし......笑

ただSexy Zoneはそこから少し飛び出してる。うまく言えないんだけど、肉体と言う武器があって、王道の(レトロな)アイドルをやっているから。

謡曲やベタなものが「古い」とされてから何十年後、Sexy Zoneはちょうどそれが帰った一種の到達点に立っている。


それが三浦徳子つながりで松田聖子を選んだ以外の理由でもある。ベタなものを一周したベタなものがカバーしたらどうなるのか。きっと何かが交わる破壊力がある。それを見てみたいから。




カバーするとしたらもう基本的にはそのまんまでいい、と思ってるんだけど、(ジャニーズはレトロだろうが何だろうが時を超えるので)


唯一違うとしたらBPM

昔のアイドルソングと今のアイドルソングで一番違うのがBPM、つまり曲の速さ。もちろん夏の扉も当時にしてはかなり速い方なんだけど、やはりぶつかっちゃうよなんかと比べると歯がゆさを感じるのも事実で。


だから最近のアイドルっぽくBPMを早くすれば、
ほらもうセクゾン版の夏の扉が出来上がり。


あのふまけんの抜けのいい声で
「フレッシュ フレッシュ フレッシュ~!!」って叫んでほしい笑




Sexy Zoneは”越える”アイドルですよね。アイドルはやっぱり越えないと。




これが自分の妄想でした。まぁただの妄想ですからね...!
と言いつつ実は少クラあたりで実現しないかな、とか密かに思っている笑(アイドル名曲メドレーとか言ってw)





それでは読んでいただきありがとうございました。

ソロ曲を考える:JUMP 伊野尾編

ジャニーズ 音楽

ジャニーズのソロ曲について、考えたいと思います。


ジャニーズにおけるソロ曲、
それはある程度活動を続けた、という証しでもあり、個を確立した、という事でもある。


そもそもソロ曲が一般的に浸透したのはいつなのか。

それはSMAPが「MIJ」というアルバムでDisc 2にソロ曲CDをつけたというのが始まりだと思う。

それ以前にもSMAPはアルバムの中にソロ曲を忍ばせたり、「la festa」と言うメンバーのソロ曲だけを集めたCDを発売していたりするんだけど、Disc2へと分ける事で、


アルバムとしてのクオリティを保つ事、

それぞれの個性をより引き立たせる事、

またそれぞれのファンへのおまけ的な要素を得る事、


などが出来ると考えられる。


そしてそれがジャニーズのアルバムの定番の形、フォーマットになった。


その後今度は嵐が「僕の見ている風景」でアルバムの内容自体を2枚組に分け、その中にソロ曲を忍ばせる、というフォーマットを確立し、
今度はそれがジャニーズのアルバムの一つの定番となる。

それはつまりアイドルとしての時代が戻ってきたという事であり、あくまでもアイドルとしてアルバムを作る、けれどもクオリティは崩さない、という形なのだと思う。



その中でソロ曲がCDにほぼ収録されてない(というか収録出来ない) グループがいる。


それはHey! Say! JUMP


理由は簡単で、
「大人数すぎる」から。。


「僕の~」のフォーマットならアルバムとして成立しなくなってしまうし、「MIJ」でも長すぎる。


また9人もメンバーがいてすべてのソロ曲を収録、となると確実にムラが出てきてしまう。


それはクオリティ、というよりはメンバーの個性の確立のスピードに差異があるから。


それぞれが奇跡のバランスで影響を与え合い、なんてのも難しい。

だからJUMPには公式にエースが必要で、じゃないと成り立たない、とも言える。


だからこれまであるとしたらシャッフルユニットを作って収録、という形しか出来なかった。(まぁそれも楽しいけど笑)


そして実は今なら少しやってもいいんじゃないかと思っている。もう個性を確立して来てるし。ただもちろんこれは聴く側の意見。
実際にはファン相手、じゃなくて、世間を相手にしているので、そこは越えてはいけない、というかズレてないといけないので、きっとやるとしてもまだ先。


と、前置きが長くなったけど、つまりJUMPにソロ曲がもしもあったらどういう曲がいいか、という妄想です。

(ちなみにあるけど収録されてないものは聴いた事が無くてですね。汗 
こんな勉強不足で書いていいのか、と思うのですが、だからこその”妄想”です。)



今回は伊野尾編です。



伊野尾くんの”声”を俺が意識したのはウィークエンダーだった。というかその曲で伊野尾くん自体を意識した気がする。

曲がすごい好きでよく聴いていたのだけど、そろそろちゃんとメンバーのキャラを知りたい、また、


「どのパートを誰が歌っているのか知って、ちゃんと萌えたい!」


的な笑
超不純な感情が芽生えて。。



それでよくよく注意して聴いてみた。
そしたら...


「So 解けない愛から始まる ∞ミステリー」

「一度繋いだ手を~」


の所で超かわいい声が聴こえて来るではありませんか!


誰だこの人!と思い調べて見ると、その人物は

「伊野尾慧」

とのこと。



伊野尾くんの存在自体は知っていたけどまだキャラも分からない俺。

今までのイメージは


「きれいすぎてよく分かんない人」笑

だった。それが、


→「声が超かわいい人」

へとランクアップ(失礼)しました。



それから後追いでJUMPに触れていくのだけど、伊野尾くんの姿を見るたびに、

「この子埋もれてるけど実は超声がいいんだぜ...へっへっへ」

的なまるで自分だけが内側で見ているような気持ち悪い感情が芽生えました。。。


ただ、いくら昔の作品を聴いても彼の声はあまり聴こえてこなかった。歌ってはいても“聴こえて“こないと言うか。
それはたぶん理屈じゃなくてきっとその時期じゃなかったんだと思う。(伊野ちゃんに限らず)

メンバーの個性、というよりもグループとしてのベースをつくる時期だったじゃないかな。


その伊野尾の声がもっと聴きたい!的な感情を解放したのが言わずと知れたChau#。


「ポップでハッピーなふたり~」


その一パートだけ、だったにもかかわらず鼻にかかった高い声がとてつもない破壊力で自分の胸を貫いた。


かわいすぎる!


切なすぎる!


Chau#の曲のハイライトがここに集約されていると言っても過言じゃない。

自分の様なにわかから見ると、この曲、このパートが伊野尾革命のきっかけになったのでは?と思う。


それからはまさにはじけた様に、伊野ちゃんの声が聴こえるようになったのでした。


それではどういう曲が伊野ちゃんに似合うのか。



☆曲のテイスト☆

声だけで言うとジャズっぽいのが似合うと思う。
Puppy Boo とか似合ってたし。。
甘めの声で抜けもいいから。

ただ、それをそのまま大真面目にやるのは自分は違うかな、と。



なぜなら伊野ちゃんは声に限らず整いすぎているから。


整いすぎると印象が薄くなってしまう、と言うのはアイドルが好きな人なら分かる感覚だと思う。

つまりどこかいびつな方がいい。じゃないと多くの人に一瞬で覚えてもらえないし、その”余白”を見てる人が楽しむ
(自分も頑張ればああなれるかも、なんていう勘違い笑 とか)
が出来ないから。それはまた声も然り。


だからジャズが似合うからと言ってジャズ歌えばいい、ではそのまますぎる。
きっと相反するものによってすべてのものは成り立っている。


でもその匿名性を個性へと消化する方法もあると思う。

それは面白いことをやる、という事。

つまりジャズではなくて、ジャズ風。


実はこれを書いている時点で自分の中にイメージしている人物像がいる。それは小泉今日子

キョンキョンもその声の匿名性から様々なタイプの曲を崩して歌うアイドルだった。

おしゃれなアイドルポップからパンク、ニューウェーブ、ハウス、クラブミュージックからはたまた演歌(!)、シャンソンまで。。


そしてジャズも。


ただ、それを歌唱力目一杯に、大真面目に、というわけではなくて、あくまでも”ニュアンス”。

もちろん曲自体は本格的にやってはいるんだけど、キョンキョンという超メジャー、歌謡曲、アイドルのど真ん中にいる存在だからこそ成り立っていた。
まさにサブカルアイドルの走り。今で言うももクロやきゃりー的な存在。

つまり匿名性やきれいでシンプルすぎる声だからこそ、何色にも染まる事が出来る。


だから伊野ちゃんもサブカルアイドルを目指すんだぁ!! 


(...って大きなお世話ですね。汗 もう自分の個性爆発してるしJUMPの曲も”何々風”だしね。。)


まぁ伊野ちゃんに一番似合ってると思ってるPuppy Booも滲み出る変態性(?)があると思ってるし、
もう今の伊野ちゃんなら何歌っても本質とはズレてくれるよね。



☆楽曲提供してほしい人☆

ジャズ、ジャズ言ってて申し訳ないんだけど、笑
自分が書いてほしいのは平松愛理さんです。


......ってお若い方分かりますかね?
部屋とYシャツと私」が有名な方です。平松さんはその当時の大人の女性の本音や恋愛を、ちょっとぶりっこちっくに歌う方、なんだけど、ノスタルジックでかわいらしいのに毒が入ってる感じが伊野ちゃんのイメージにあってるかな、と(伊野ちゃんはほぼ女子なので)

平松さんに毒、というか少し死までも含めたカルマを匂わせて伊野ちゃんの危険な感じや変態性を引き出してほしい。
(かわいいだけじゃないけど何か?みたいな)


そしてもう一人挙げるとしたら鈴木祥子さんかな。。

これも若い方分からないかもしれませんが。汗


90年代初頭に活躍したシンガーソングライターで、最近だとツバサ・クロニクルのエンディング曲、坂本真綾の「風待ちジェット」などを作られた方です。


柔らかくて、優しくて、胸がキュンとなる作風の方で、まさに伊野ちゃんにぴったりだと思う。


ちなみにキョンキョン優しい雨の作曲者としても有名で、自分が思う伊野ちゃんの曲”像”と、やはり繋がりがある気がする。


ただ、伊野ちゃんが歌うにはやはり似合いすぎるのかな、という気もするのだけど。


というかなぜか伊野ちゃんには90年代初頭の女性シンガーソングライターが似合う気がする。なんでかな...?...(広瀬香美とかも似合いそうだし)


たぶんその当時は、女性の社会進出やバブルも加わって、一種それを歌に託すのがピークに達していたのかな。アイドルのファンタジーが壊れて、女性のリアルな気持ちがようやく「歌」として成立するようになったと言うような。

ただその時期そこに対応出来るアイドルと言えばほとんどいなくて、それを女性アイドルが歌う事によって成立する、というロジックは、90年代末期になってから。

そしてその現在空いている枠に、男性としてカムバックしたのが伊野尾慧、なのかもしれない。

つまり女性も社会進出は当たり前、むしろ女性の方が強くなった昨今、90年代初頭の雰囲気は入れ替わっていて、伊野ちゃんが草食系の代表としてそこに...いやむしろ時代の解釈としては同じだけど唯一違うのがほとんど女性、としての男性...の伊野尾慧、(複雑ですね汗)なのかもしれない。

というか伊野ちゃんに限らずJUMPはみんな80年代~90年代の女性アイドル(ミュージシャンが楽曲提供するロジックがあった)をまんま男性アイドルに入れ替えたみたいな存在だと思う。

男子の女性化、は今に始まった事ではなくて徐々に徐々にそうなっていったと思うけど、それもここまできたか笑、というか、それがちょうど入れ替わるタイミングのグループというか......

現在の男子の代表的存在がJUMPなのかな。。と


という事で少し話しがズレましたが笑


まとめると、
伊野ちゃんの優しい声を生かしつつ、大真面目に歌わずどこかあざとさがあって、どこか聴いてるこっちが面白い曲。かな


これが自分の妄想でした。実際こうなってほしい、というか、ただの妄想なので...


きっと伊野ちゃんの声なら何聴いても打ち抜かれるし笑


将来的にソロ曲が一曲でも聴けたら嬉しいなぁ、と思います。




それでは読んでいただきありがとうございました。

あゆは神様じゃない/歌の中に自由がある

ayu 音楽

突然ですが自分はあゆが好きです。
好きになったきっかけはまた別の時に語るとして、今書いておきたい事があるので...


最近twitterをはじめました。
初めた理由(目的)の一つはあゆがやっているから。

けど、はじめたはいいものの、正直、よく分からなくなってたんです。

自分、いつも考えてしまうタイプなんですけど、

「自分の思ったことって何?」

「自分の中のリアルタイムって?」

とか思ってしまって、

あげくの果てには、

「何が呟きたかったんだっけ?」と...。


もうなんか日常の不満とかをそのまんま書けたらいいのになぁ...とか、
でもそんなことしたらフォローして下さっている人達に迷惑だしなぁ...とか、思っていました。


そんな時、あゆの歌詞bot、というようなのありますよね。

あれ、フォローしてるんですが、自分は見てて、断片的に書かれている分あゆの言いたいことや思いが伝わると思ってるんです。

それを見ていると、「あれ、あゆって意外と悩んでたり何かを求めたり今いる自分の場所から、別の場所へ行きたがってる」
って思ったんです。


今まで自分はあゆの書く詞=正しい事を言ってるって思ってたし、あゆの言う事=肯定しなければいけないって、そう思ってました。

つまり浜崎あゆみとは完璧な生き物である、と勘違いしてたんですね。


でも、実はそうではなくて、一人の人間だったんです。


当たり前、笑 なんだけど、そんなだから今まであゆの言葉に無理やり共感しようとしたり、歪曲して自分の良いように受け取ったりしていたんだ、と...。


ごめんなさい。


あゆは神様じゃない。一人の人間だったんですね。



また、twitterで不満とか思ってる事を言えたらいいなぁ...とか思った、と書きましたが、あゆにとってはそれが、「歌」であり「歌の中」なんだろうなぁ、と。

よくあゆが歌の中だけは自由、歌の中に自由がある、と言っているけど、そういう意味だったんだなぁと、はじめて分かった気がしました。


そして、あゆにとってはそれがあゆの”居場所”なんだろうなぁとも。


それがあゆにとっては歌の中だっただけで、どんな人でもそういう場所は持ってないといけないのかも、とも思いました。

特に大人になるにしたがって、言いたいことが言える場所はなくなってく。
だからこそちゃんと”分ける”、という行為をする事、それが大人になるという事なのかもしれません。


まぁあゆが自分の言いたいことや不満を言っていても「歌の中に自由がある」という発言に「?」だったのはあゆが何もかもそのまま自分のために書いて、というわけではなくて、作品として、そのクオリティを考えているからだと思うんですけどね。


とにかくこれからは、あゆの書いた詞を、ちゃんとそのまま受け取ること、これをちゃんとやらないといけない、そう思いました。


後、twitterやってよかった...。そんな簡単なことに気付けたから。


それでは、(これ、悩み相談ですよね?笑)読んでいただき
ありがとうございました。

re:evergreen/MY LITTLE LOVER

音楽

MY LITTLE LOVERの『re:evergreen』です。


このアルバムはマイラバ20th記念のアルバムで、1stアルバム『evergreen』への”re:”つまり返信がテーマになっている。

そしてDisc.1がニューアルバム、Disc.2がそのevergreenの再解釈、(というかトラック取り直し)という複雑な(いかにも小林武史的な)作り。


そもそもMr.Childrenが自分は好きで、小林武史の音楽が好きなので、
MY LITTLE LOVERは若い世代にしては聴いている方だと思う。ただevergreenに関しては未試聴。

だからこの企画を聞いた時、胸が躍ったのだけど(写真のオマージュとかも >_<)
evergreenを聴いてないからなぁ...と手が伸びず、時間が経ってしまいました。

そして最近evergreenを未試聴でも聴いてみよう!と決意した。




自分がこのアルバムを聴いて感じた事、
それは2つあって、



1つは、

むき出しのポップス。



2つ目は音楽とは、音を”楽しむ”事。





小林さん曰わく今回のアルバムは(結果的にでも)”極上のポップス”を目指したアルバム、とのことで、それがakkoの、かわいらしい倍音を通して
伝わってくる。

ポップスとは、そもそも何なのか?
それは、”限られた枠の中、「来た!」と言うインスピレーションを、壊れないように形にする事”、だと思う。

これは音楽に限らない事。今回アルバムジャケットをデザインされた信藤三雄さん(20年前のevergreenも信藤さん)とakkoが、今回のアルバムに対して対談し、こんな事を述べている。


ーーー


akko 信藤さんは、撮影中している最中に「来た」という時があるんですよ
その「来た」が聞こえたもう安心(笑)。その撮影はもうOKなんです。

信藤 僕は素直ですからね(笑)。


ーーー


この「来た」という感覚。これがないと、きっと大衆に向けて作られるポップスというのは、成立しないのだと思う。そしてそれは、子供のころの素直な自分を、引き出してあげる作業でもあると思う。

というかそれはポップスに限らずなんでもそうだろ!という声が聞こえて来そうだけど笑 
 きっと”枠”を意識した中で、ものを創るなら、みんなそうなのかなと...。そしてその枠がポップスの場合、「人が求めているもの」なのかな?と。


さらに信藤さんは、こんな事もおっしゃっていた。


ーーー


信藤 端的に言うと彼女は「松田聖子的な資質」を持っている人だと思うんですよ。つまり、マイラバにはある種の芸能的なものと、僕らの好むポップスが、絶妙なバランスで成り立っていたんです。
これって当時は気づいていなかったことなんですけど、今改めて『evergreen』を聴くと、一番の魅力はそこにあったような気がしていて。


ーーー


自分も実はマイラバ松田聖子とは、同じようなものがあると思っていて、
松田聖子がポップス、アイドルの中にマニアックなものを持ってきたのだとすれば、
マイラバはアーティスト的なものの中に「アイドル的な」「芸能的な」ものを持ってきたのかな、と。

ただ小室さんが当時行っていた、
「アイドルをアーティストに作り変えてデビューさせる」
というのとは、また少し違う感じがする。akkoの場合、声が”アイドル”で、そこでまた枠と中身が入れ替わるから...?
だから前述のマニアックと芸能的なものの解釈は間違っているのかもしれないけど...。

その時空の歪み具合がakkoでありマイラバ。だからマイラバに聖子さんの「渚のバルコニー」をカバーしてくれぇ!と自分なんかは思っていたのだけど、akkoが歌うと通常の(良質な)ポップスになってしまい、松田聖子のロジックは成り立たなくなってしまうのかも...とも思う。


ちょっと話しがズレたけど、「枠」がポップスにおいて重要なのは間違いないのかな、と。


音楽の内容自体もまさにそのインスピレーション、それこそがポップス、という小林さんの感性がむき出しになってる気がする。


あからさまな大瀧詠一メイクの「wintersong が聴こえる」


小林さんらしい歌詞のテーマが素晴らしい「バランス」


一瞬いきものがかり?の「夏からの手紙」


あからさまに小林さんからakkoへの手紙である「ターミナル」


小林さんの「来た!」がむき出しになった曲ばかり。また、それをちゃんと支えるロジックとしての複雑なコード、アレンジ。

evergreenを聴いても「あれ? どっちの曲だったっけ?」と分からなくなるクオリティ。


またこのアルバム、小林さんが思うakko像が変わらないのが微笑ましい。


”どうしてなんだろう
この雨にもっと浸りたいだなんて”
「今日が雨降りでも」


”分からなくなるのは なぜだか いつでも わたしだけだと思う”
「バランス」


”取り戻さなけりゃいけないことがある
だけど進化もしていかなきゃね
それを男に任せてばかりでは
だめな気がする 僭越ながら”
「舞台芝居」


まぁ 


”男の心にいま 肩を抱かれたい”
「バランス」


なんてびっくりするようならしいようなフレーズも出てくるし、あからさまな「星空の軌道」とか、どこまでが計算でリアルな思いなのかは分かりかねるんだけど...

それでも嫌みを感じないのはもう2人に恋人や家族を越えた友情(?)があるからかな。



そして2つ目の音を楽しんでいる感じがする、という事。


だから”音楽”なんだろ!と当たり前な気もするけど、個人的にずっと音楽を聴く=難しくしていた、みたいなのも最近(ていうかずっと)あって...



料理は美味しければいい


お笑いは面白ければいい


映画は面白ければいい



じゃあ 音楽は?となった時、分からなくなっていた。


でもそれは簡単な事で、楽しければいいんだよ、きっと。

それをこのアルバムに教えられた気がする。


人はなぜ音楽を聴くのか。それは楽しくなりたいし、その瞬間、癒されたいから。その”瞬間”をきっと自分は忘れていたのだと思う。

それを思うと、小林さんがなぜ20年前のevergreenを、今再現したのか、そして生音なのかが見えてくる。


実際聴いているとその瞬間とても癒やされて、心地よかった。


だから、初めに元の『evergreen』は聴いてない、と言ったけど、
聴かなくてよかったかもな、とも思った。
もし聴いていたら、


「ここが違う」


「あそこが変わった」。


そんな事ばかりが先にたって、その瞬間の音を楽しめなかったから。



evergreenとは何か。
自分にとっての、音楽にとってのevergreenとは。


それに対する返信を、自分は聴いた気がする。





みなさんもぜひよかったら、聴いてみて下さい。

それでは 長くなりましたが、
読んでいただきありがとうございました。