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どうでもいい自意識

音楽を中心に箇条書きです

re:evergreen/MY LITTLE LOVER

MY LITTLE LOVERの『re:evergreen』です。


このアルバムはマイラバ20th記念のアルバムで、1stアルバム『evergreen』への”re:”つまり返信がテーマになっている。

そしてDisc.1がニューアルバム、Disc.2がそのevergreenの再解釈、(というかトラック取り直し)という複雑な(いかにも小林武史的な)作り。


そもそもMr.Childrenが自分は好きで、小林武史の音楽が好きなので、
MY LITTLE LOVERは若い世代にしては聴いている方だと思う。ただevergreenに関しては未試聴。

だからこの企画を聞いた時、胸が躍ったのだけど(写真のオマージュとかも >_<)
evergreenを聴いてないからなぁ...と手が伸びず、時間が経ってしまいました。

そして最近evergreenを未試聴でも聴いてみよう!と決意した。




自分がこのアルバムを聴いて感じた事、
それは2つあって、



1つは、

むき出しのポップス。



2つ目は音楽とは、音を”楽しむ”事。





小林さん曰わく今回のアルバムは(結果的にでも)”極上のポップス”を目指したアルバム、とのことで、それがakkoの、かわいらしい倍音を通して
伝わってくる。

ポップスとは、そもそも何なのか?
それは、”限られた枠の中、「来た!」と言うインスピレーションを、壊れないように形にする事”、だと思う。

これは音楽に限らない事。今回アルバムジャケットをデザインされた信藤三雄さん(20年前のevergreenも信藤さん)とakkoが、今回のアルバムに対して対談し、こんな事を述べている。


ーーー


akko 信藤さんは、撮影中している最中に「来た」という時があるんですよ
その「来た」が聞こえたもう安心(笑)。その撮影はもうOKなんです。

信藤 僕は素直ですからね(笑)。


ーーー


この「来た」という感覚。これがないと、きっと大衆に向けて作られるポップスというのは、成立しないのだと思う。そしてそれは、子供のころの素直な自分を、引き出してあげる作業でもあると思う。

というかそれはポップスに限らずなんでもそうだろ!という声が聞こえて来そうだけど笑 
 きっと”枠”を意識した中で、ものを創るなら、みんなそうなのかなと...。そしてその枠がポップスの場合、「人が求めているもの」なのかな?と。


さらに信藤さんは、こんな事もおっしゃっていた。


ーーー


信藤 端的に言うと彼女は「松田聖子的な資質」を持っている人だと思うんですよ。つまり、マイラバにはある種の芸能的なものと、僕らの好むポップスが、絶妙なバランスで成り立っていたんです。
これって当時は気づいていなかったことなんですけど、今改めて『evergreen』を聴くと、一番の魅力はそこにあったような気がしていて。


ーーー


自分も実はマイラバ松田聖子とは、同じようなものがあると思っていて、
松田聖子がポップス、アイドルの中にマニアックなものを持ってきたのだとすれば、
マイラバはアーティスト的なものの中に「アイドル的な」「芸能的な」ものを持ってきたのかな、と。

ただ小室さんが当時行っていた、
「アイドルをアーティストに作り変えてデビューさせる」
というのとは、また少し違う感じがする。akkoの場合、声が”アイドル”で、そこでまた枠と中身が入れ替わるから...?
だから前述のマニアックと芸能的なものの解釈は間違っているのかもしれないけど...。

その時空の歪み具合がakkoでありマイラバ。だからマイラバに聖子さんの「渚のバルコニー」をカバーしてくれぇ!と自分なんかは思っていたのだけど、akkoが歌うと通常の(良質な)ポップスになってしまい、松田聖子のロジックは成り立たなくなってしまうのかも...とも思う。


ちょっと話しがズレたけど、「枠」がポップスにおいて重要なのは間違いないのかな、と。


音楽の内容自体もまさにそのインスピレーション、それこそがポップス、という小林さんの感性がむき出しになってる気がする。


あからさまな大瀧詠一メイクの「wintersong が聴こえる」


小林さんらしい歌詞のテーマが素晴らしい「バランス」


一瞬いきものがかり?の「夏からの手紙」


あからさまに小林さんからakkoへの手紙である「ターミナル」


小林さんの「来た!」がむき出しになった曲ばかり。また、それをちゃんと支えるロジックとしての複雑なコード、アレンジ。

evergreenを聴いても「あれ? どっちの曲だったっけ?」と分からなくなるクオリティ。


またこのアルバム、小林さんが思うakko像が変わらないのが微笑ましい。


”どうしてなんだろう
この雨にもっと浸りたいだなんて”
「今日が雨降りでも」


”分からなくなるのは なぜだか いつでも わたしだけだと思う”
「バランス」


”取り戻さなけりゃいけないことがある
だけど進化もしていかなきゃね
それを男に任せてばかりでは
だめな気がする 僭越ながら”
「舞台芝居」


まぁ 


”男の心にいま 肩を抱かれたい”
「バランス」


なんてびっくりするようならしいようなフレーズも出てくるし、あからさまな「星空の軌道」とか、どこまでが計算でリアルな思いなのかは分かりかねるんだけど...

それでも嫌みを感じないのはもう2人に恋人や家族を越えた友情(?)があるからかな。



そして2つ目の音を楽しんでいる感じがする、という事。


だから”音楽”なんだろ!と当たり前な気もするけど、個人的にずっと音楽を聴く=難しくしていた、みたいなのも最近(ていうかずっと)あって...



料理は美味しければいい


お笑いは面白ければいい


映画は面白ければいい



じゃあ 音楽は?となった時、分からなくなっていた。


でもそれは簡単な事で、楽しければいいんだよ、きっと。

それをこのアルバムに教えられた気がする。


人はなぜ音楽を聴くのか。それは楽しくなりたいし、その瞬間、癒されたいから。その”瞬間”をきっと自分は忘れていたのだと思う。

それを思うと、小林さんがなぜ20年前のevergreenを、今再現したのか、そして生音なのかが見えてくる。


実際聴いているとその瞬間とても癒やされて、心地よかった。


だから、初めに元の『evergreen』は聴いてない、と言ったけど、
聴かなくてよかったかもな、とも思った。
もし聴いていたら、


「ここが違う」


「あそこが変わった」。


そんな事ばかりが先にたって、その瞬間の音を楽しめなかったから。



evergreenとは何か。
自分にとっての、音楽にとってのevergreenとは。


それに対する返信を、自分は聴いた気がする。





みなさんもぜひよかったら、聴いてみて下さい。

それでは 長くなりましたが、
読んでいただきありがとうございました。