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どうでもいい自意識

音楽を中心に箇条書きです

あゆは神様じゃない/歌の中に自由がある

ayu 音楽

突然ですが自分はあゆが好きです。
好きになったきっかけはまた別の時に語るとして、今書いておきたい事があるので...


最近twitterをはじめました。
初めた理由(目的)の一つはあゆがやっているから。

けど、はじめたはいいものの、正直、よく分からなくなってたんです。

自分、いつも考えてしまうタイプなんですけど、

「自分の思ったことって何?」

「自分の中のリアルタイムって?」

とか思ってしまって、

あげくの果てには、

「何が呟きたかったんだっけ?」と...。


もうなんか日常の不満とかをそのまんま書けたらいいのになぁ...とか、
でもそんなことしたらフォローして下さっている人達に迷惑だしなぁ...とか、思っていました。


そんな時、あゆの歌詞bot、というようなのありますよね。

あれ、フォローしてるんですが、自分は見てて、断片的に書かれている分あゆの言いたいことや思いが伝わると思ってるんです。

それを見ていると、「あれ、あゆって意外と悩んでたり何かを求めたり今いる自分の場所から、別の場所へ行きたがってる」
って思ったんです。


今まで自分はあゆの書く詞=正しい事を言ってるって思ってたし、あゆの言う事=肯定しなければいけないって、そう思ってました。

つまり浜崎あゆみとは完璧な生き物である、と勘違いしてたんですね。


でも、実はそうではなくて、一人の人間だったんです。


当たり前、笑 なんだけど、そんなだから今まであゆの言葉に無理やり共感しようとしたり、歪曲して自分の良いように受け取ったりしていたんだ、と...。


ごめんなさい。


あゆは神様じゃない。一人の人間だったんですね。



また、twitterで不満とか思ってる事を言えたらいいなぁ...とか思った、と書きましたが、あゆにとってはそれが、「歌」であり「歌の中」なんだろうなぁ、と。

よくあゆが歌の中だけは自由、歌の中に自由がある、と言っているけど、そういう意味だったんだなぁと、はじめて分かった気がしました。


そして、あゆにとってはそれがあゆの”居場所”なんだろうなぁとも。


それがあゆにとっては歌の中だっただけで、どんな人でもそういう場所は持ってないといけないのかも、とも思いました。

特に大人になるにしたがって、言いたいことが言える場所はなくなってく。
だからこそちゃんと”分ける”、という行為をする事、それが大人になるという事なのかもしれません。


まぁあゆが自分の言いたいことや不満を言っていても「歌の中に自由がある」という発言に「?」だったのはあゆが何もかもそのまま自分のために書いて、というわけではなくて、作品として、そのクオリティを考えているからだと思うんですけどね。


とにかくこれからは、あゆの書いた詞を、ちゃんとそのまま受け取ること、これをちゃんとやらないといけない、そう思いました。


後、twitterやってよかった...。そんな簡単なことに気付けたから。


それでは、(これ、悩み相談ですよね?笑)読んでいただき
ありがとうございました。