どうでもいい自意識

音楽を中心に箇条書きです

浜崎あゆみの事をジャンヌ・ダルクって言う人をずっとバカにしていた

毎回書くのが遅くなっちゃうなぁ〜。

 

 

 

行って来ました!平成サイゴノトラブル。

 

ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2018-2019 A TROUBLE

 

 

実は自分、カウントダウンには行くつもりはなくて汗(参加した事もない)

 

特に地方に住んでる自分からすると、もはや、まったく関係のないイベントみたいな笑(あゆの事は好きですよ!)

 

なので、家で傍観者のごとく過ごすつもりだったのですが、今回Twitterのフォロワーさんにお誘い頂いて。

 

これはもう行くしかないな、と!

 

なので、まずこんな出不精な自分を家から引っ張り出して頂いた、その方に感謝を申し上げたいと思います。

 

 

でね、ライブの感想ですが。

いや〜〜、凄かった。凄かったし楽しかった。そして、見方が変わってしまった。あゆのライブの。いや、浜崎あゆみそのものを誤解していたかもしれない。そんな風にさえ思った自分がいた。

 

 

今まで、自分にとってのあゆって、共感する存在で。だから、ライブに行ったら、その共感を確認する感じだったと思う。つまりもっと言うと、部屋で一人で曲を聴いている時と使っている脳みそがあまり違わないというか。あの共感を生で聴いて確かめたい、みたいな。そんな感じだったと思う。

 

そして、自分、凄く頭でっかちで。ライブを見てる時って、なんかこう、熱狂が出来ないんですよね。どこか冷めてるというか。

 

「あ〜、この歌、名前何だっけ??」とか、

 

「誰が作ったんだっけ?」とか、

 

「ちょっと音外した?」とか。

 

そんな事ばっかり思ってしまうんですね。もう一人の自分がどこかで。

 

あの日も、最初はそうだった。

 

 

けれど、途中からそんな事どうでも良くなってきて。

 

何というか、歌詞のフレーズがまるでパズルのピースみたいに、所々、光り出していくのに気付いたんですよ。

 

 

「悪いけど黙っててくれる?アタシ達の声が聞こえない」

 

 

「マジになりすぎたモン負けだってば」

 

 

「君はこの世に一人 君の代わりはいない」

 

 

「考えるのやめたら?」

 

 

「だから何とかここに立って僕らは今日を送ってる」

 

 

そのフレーズの一つ一つが光となって自分に向かって飛んできて。凄く自分の胸に刺さったんです。

 

いや、でも刺さるだけではなくて。なんだろう、一緒に生きてる?共存してる?そんな感じ?

 

 

そして気付いた。これ、トラブルを笑い飛ばしてるんじゃん?って。

ああ、だからTROUBLEなのか!?と。

 

ようやくそこで分かったんです。

 

 

それで、なんかもう吹っ切れて。名前だとか音程だとか(思う自分が)どうでもよくなってきちゃったんですよね。最後には歌と歌詞だけが残るというか。だって自分は歌手のライブを見に行ってるんだから。

 

もちろんそれだけではない、それだけではないんだけど、裏側ばっかり見ちゃう自分に、受け取り手側としての風穴を開けてくれたんですよね。

 

そしたら凄く楽しくなった。気付いたら体が動いていて。めちゃくちゃ痛快で。

 

ああ、これが浜崎あゆみだったんだな、って。あゆってこういう歌手だったんだなって。初めて分かった気がしたんです。

 

 

共感から共存へ。以前あゆについてそんな風に書かれていた人もいたけど。

 

その意味がようやく理解出来たんです。

 

 

 

そして。

 

 

そんな事を思っていたら、頭に浮かんできたのが「ジャンヌ・ダルク」だった。

 

あゆはよくジャンヌ・ダルクに例えられる。実際あゆ自身もそれをモチーフにしたPVや、雑誌を作った事もある。

 

民衆を率いていくカリスマ性。ファンとアンチの表裏一体感。

 

今まで賞賛していた人が手の平を返したようにバッシングする。(ファンでさえも)

 

それが、民衆を率いて戦争を勝利に導き、その後"異端"だとされ処刑された、ジャンヌ・ダルクと重なる(らしい。一部の人によると)

 

けれど個人的には、今までそういう事を言う人に対して、「何言ってんの?」って思ってた。確かに、そういうPVも、雑誌も作ったけれど、それはあくまでモチーフであって。あゆはあゆじゃない?って。

 

上手く説明出来ないけど、

 

「あゆの事を安易に物語に当てはめるのは辞めてくれ!」

 

ジャンヌダルクが何なのかも、よく分からない癖に!」

 

みたいな。そんな感じ?

 

けれど。ライブを観ていると...。

 

この人は本当に、ジャンヌダルクではないのか?そう本気で思ったんです。

 

民衆を率いて元気にしてゆく。辛い現実を歌で笑い飛ばす。

全ての人間=マイノリティの味方だな!と。そう、あの場所にいた誰もがマイノリティ。社会の片隅でしか生きられないような、そんな人もいるかもしれない。というかそんな人ばっかりだと思う。けれど、全て歌で笑い飛ばしてくれたんだよなぁ。

 

笑い飛ばす。そう、これこそが今まであゆに感じていなかった事で。あゆの事は今まで「シリアスな歌手」だと思っていた。うーん、上手く言えないけど、映画に例えると、じっくり自分一人で観るアート性の高い映画だと思っていたのだ。

けれど、実は痛快なハリウッド映画だった、みたいな(笑)

 

つまり、

笑わないと思っていた人が笑い出した、みたいな衝撃??

 

そして、

私(達)はこうやって生きてゆく!って。その決意表明を感じた。それが、あの大晦日の晩だからこそ、余計に響いて来たんです。

 

 

だからもうさ、

別に歌い方が演歌だろうが何だろうが別にいいじゃん。

 

昔のあゆが良かった?うるせーよ!

 

みたいな(笑)

 

 

これは、もしかしたらあゆの事を上げてるふりして下げてる様な評に受け取られるかもしれない。

 

よく言われる、

「たしかに声は出なくなったし、容姿も衰えてしまった。身も心もボロボロかもしれない。

だけど歌い続けている。だから素晴らしい。」

 

そんな評みたいに。

 

自分は、それなら"浜崎あゆみ"じゃなくてもいいんじゃない?って思ってしまうから。

 

 

でもね、なんか、普通の人間が普通に歌ってるだけなんじゃん、って。人間臭くていい、とかじゃないの。ただの人間なんじゃんって。

普通の人間が、ベストなパフォーマンスを尽くそうと頑張ってる。もっと言うと、ただ自分の仕事を全うしようとしてる。

 

だから完璧なんてない。もちろん完璧さは求めるだろうけどね。

それでいい、というかそれしかない、と思って。

 

今現在、その場所で生きてる自分が拾い上げられるものなんて、一握りなんだから。

 

 

 

そしてこのライブで特に感銘を受けた曲が、

 

『Love song』

 

この曲の歌詞に対して、自分はどこかバカにする気持ちがあったかもしれないね。ファンでありながら。

 

「愛のない人生なんて そんなの生きる自信ない」

 

何言ってんの?

 

「歌のない人生なんて そんなの見当もつかない」

 

そんな訳ないじゃん(笑)

 

みたいな。

 

 

 

でも、ライブで聴いて、

「あぁ、この人は本気でそうやって思ってるんだ」って。それを凄く感じて。

けれど別に大げさではなくて。

 

 

一人の人間がただ自分の決意を歌っている。大き過ぎる訳でもなければ小さ過ぎる訳でもなく。

 

 

それを「今」という限られた器で全うする。

けれどきちんと前を向いている。

 

 

それをちゃんと"受け取れた"時、なんかあゆの事が愛しくなってしまった(笑)

 

 

 

 

 

ライブはあゆと共に生きる場所。音楽って世界を変えないから、日常の辛い現実に戻った時には、前を向いて歩いていきたいだなんて思えないかもしれない。でも、このライブの、この瞬間だけは、そう思える、そんなライブでした。

 

 

おわり。